日本と欧米では死生観に違いがあります。たとえば、キリスト教では、人が死んだ時、魂は天国に行って神の国で復活すると教えるため、残された亡骸は「物」と考えたりします。魂の抜けた肉体が他の人に役立つのなら提供したいと、本人も家族も考えやすいのでしょう。
一方、日本では、遺体には「何か」が残っているので、供養して成仏させなければならないと考えることがあるようです。欧米と比べると、亡骸への執着が強く、「臓器を提供したら成仏できない」とおっしゃるような対応を生んでいるのかも知れません。
また、欧米は個人主義が浸透しているため、自分のいのちの終え方やドナーとしての意志表示をしやすいのかも知れません。
仏教国でも、タイや台湾などのように、臓器移植を人生最後の布施であると積極的に考える場合もありますから、「臓器を提供したら成仏できない」という考え方が仏教に基づいているとは言えません。
ドナーとなることは、ご自分の価値観や死生観とも大きく関係があり、ご家族などの意見も影響します。ご自分で、あるいはご家族と、いのちのあり方についてお考えになった末、結論を出されればよろしいかと思います。
※脳死及び臓器移植に関する天台宗の意見については、「天台の主張」もご参照下さい。
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