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サミットの歴史

比叡山宗教サミット − 概要

(比叡山時報 昭和62年8月8日)

人類の融和を願って 世界の宗教者が一堂に
海外から16カ国24代表が参加

平和への第一歩にと 比叡山メッセージを採択

 昨年のアッシジの精神を継承すべく、8月3、4日の両日京都宝ヶ池プリンスホテルと比叡山上を会場に比叡山宗教サミットが開催された。
 宗教会議としては、これまでの最大規模で、またサミットの名称としては初めてである。仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、儒教の七大宗教の代表者24名が出席、国内宗教代表者を含めて、600名が一堂に会した。
 宗教代表者は、広島までの日程を含めて盛んな宗教外交を展開した。
 当初心配されていた反対派との混乱もなく、8月3日午後5時、京都宝ヶ池プリンスホテルで海外七大宗教24名の宗教代表者並びに国内代表を迎えての歓迎式典が布施運営委員長の司会で始まった。江田広典事務総長の挨拶のあと杉谷事務局長から海外代表者一人一人が紹介され、続いて名誉議長の山田恵諦・天台座主の「宗教者の相互理解が先ず平和への第一歩で、それぞれの宗教の立場で十分な成果が得られるように」と、同名誉顧問の徳川宗敬・神社本庁統理の「互いの教義を尊重、平和の使者たらん」との歓迎の挨拶があり、この後海外代表として、ノ・チュン・ヒュンプロテスタント世界改革教会連盟副会長(韓国)が地球上の激しい貧富の差と核兵器の脅威を取り上げ、悪と立ち向かう宗教者の連帯を訴え、エクメレディン・イヘサンオグル・イスラム文化研究所々長(トルコ)は、宗教協力の原則は教え合うより学び合うことと呼び掛け、次の歓迎レセプションに移った。
 レセプションには、内外の代表者に加え関係者約500名が和やいだ雰囲気の中で宗教外交を展開、中でも宗教対立が原因となる局地紛争を抱える海外代表も多いだけに盛んなやり取りがなされ、「日本は世界で唯一の被爆国であり、日本の宗教家が平和を呼び掛け、リーダーシップを取ることは意義深いことである」と、このサミットへの抱負を語っていた。
 サミット会議は4日午前9時、海外16カ国から七大宗教代表24人、国内から約500名が出席、開会に先だち、全員で黙祷を捧げ、鈴木日出年議長の開会宣言で始まった。主催者を代表して庭野日敬名誉顧問が挨拶に立ち、続いてバチカン法王庁のアリンゼ諸宗教省長官がローマ法王のメッセージを、ホセム・エルディン、アズハル事務局長がアズハル総長のメッセージをそれぞれ披露・この後「平和の道」をテーマに海外から仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、シーク教、儒教、国内から教派神道、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の各代表が所信表明を行った。
 李炳主・儒教本部長老は、「だれもが互いを愛し、助け、理解することは、仏陀の慈悲の心が、孔子の人道が、そしてキリストの愛が説いている宗教者の精神」と。白柳誠一日本キリスト教連合会代表も「人工衛星からみた地球は、青と白で織りなされた“平和色”の球体。だれしもがその美しさに感動し、平和に夢をはせるでしょう」と。またヒンズー連盟のカラム・シン総裁は「宗教は芸術など創造力を要する分野で偉大なインスピレーションの源となってきた一方恐るべき争いをもたらす根源にもなってきました」と、各宗教者の自省をも含んだ平和に対する切実な訴えが目立った。しかし、混迷する状況の中で確固たる手段を持ち合わせていないということも今後に残された課題である。そうした中で、フォコラーレの子供使節団(カトリックの奉仕団体)の「私たち子供こそが未来だと、……人類の未来のために生きたい」とのメッセージが会場からの満場の喝采を受けた。彼らは、このサミットのため世界各地を廻り世界平和の署名を集めたのである。
 最後に参加者は、平和への切なる思いをこめ、人間融和の人類共同体の実現を訴えた「比叡山メッセージ」を全会一致で採択して閉会した。午後からは一食を捧げ、会場を比叡山上に移しての「世界宗教者平和の祈り式典」である。
 山上広場を埋め尽した1,000人を越える人々の見守る中、各宗教代表者が入場、式典開始午後3時30分、大講堂の大梵鐘は世界平和を願って全世界に向けて鳴り渡った。特設のステージにはアルファベット順に仏教代表者から登段して祈りを捧げ、まさに歴史的祈りの式典であった。尚、同サミットに反対する集会が持たれたことも一考したい。

ノーモア・ヒロシマ
宗教サミット代表者 切なる訴え

 「比叡山宗教サミット」に出席した海外16カ国24名の宗教代表者並びに国内代表者は5日に広島入りし平和記念公園の原爆慰霊碑に献花した。各代表者は、原爆の悲惨さを痛感した様子で、二度と再びこのような参事が繰り返されてはならないと言っていた。アッシジ代表のミッチー神父は「罪のない人までが大きな代償を支払ったのは悲劇だ。悲惨な戦争をなくすには人種、宗派を超えた親善協力が必要」と訴えていた。
 6日は、午前6時から宗教連盟主催の慰霊行事に参加。また、8時より広島市主催の平和祈念式典に参列し、それぞれの思いを旨に黙祷を捧げていた。
 今年で42周年を迎える広島。被爆者は老齢化し、その惨劇は今の若い世代にとって過去の出来事でしかない。国内は言うに及ばず全世界から核の恐畏を訴えるため、様々な人が集結し、いろんな催しが各所で行われていた。
 インドから参加したシーク教のスージャン・シン・ウーバン代表は、「戦争には勝者も敗者もない。犠牲の上に平和憲法をつくった日本が平和運動の指導者になるべきだ」と話していた。今回のサミットは今後に多くの課題を残して閉幕したが、21世紀に向けて、一つの指針を与えたようである。


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