比叡山宗教サミット14周年− 概要
比叡山上14年目の夏 祈りの式典
共に祈った日から14年、今年も8月4日、日本の宗教者が比叡山上に集い、世界平和を祈った。この集いは、1987年8月3日と4日に世界の諸宗教の代表者が平和を祈るために集まった比叡山宗教サミット以後、毎年その参会者を中心に、祈りを続けているものであり、日本の宗教者にとって広島の平和の祈り、長崎の平和の祈りと共に、8月初旬の大切な祈りの日となっている。
心安らかな日の到来を
午後3時、藤光賢天台宗宗務総長の開式の辞で比叡山宗教サミット14周年世界平和祈りの集いがはじまった。藤総長はその中で、世界の現状に触れ、宗教者の努力で、世界平和確立への大いなる歩みを進めようと宗教者の努力の必要性をアピールした。
続いて比叡山中学・高校のブラスバンド部が「最澄さま」を演奏する中、比叡山幼稚園園児40名と天台青少年比叡山の集いの参加者200名が、平和を祈ってひまわりの花の献花をおこなった。
そのあと、半田孝淳探題大僧正を導師に迎えての法楽が、延暦寺一山住職の出仕で行われた。また、渡辺惠進天台座主猊下は、平和祈願文を奉読になり、この中で、世界の現状、殊に紛争や破壊、環境問題、更には富めるものと貧しきもののことなど多くの問題を挙げて宗教者はもちろんのこと、多くの人々のたゆまざる努力を求めるとともに、神仏の篤いご加護を願われた。
平和祈願文の奉読が終わった3時30分、大講堂の平和の鐘が打ち鳴らされるのをきっかけとして、壇上の諸宗教の代表者、そして参加者により平和を願い黙祷が捧げられた。また、同時刻、全国の天台宗寺院でも一斉に鐘が打ち鳴らされ世界平和が祈られた。
続いて比叡山メッセージの朗読があり、世界連邦日本宗教委員会特別顧問廣瀬靜水先生の「平和を語る」と題した講演が行われ、清原惠光延暦寺執行のお礼の挨拶で祈りの式典は終了した。
平和実現への努力を神仏に誓い、世界中の全ての人々に心安らかな日の到来の1日も早からんことを願う大切な1日であった。
平和を語る 世界連邦日本宗教委員会特別顧問 廣瀬靜水
本日は、ご指名を賜り感謝申し上げます。私は、天台宗の国際的な宗教協力の歴史において偉大な先達であった故葉上照澄阿闍梨の夢を回顧して、新しい世紀の始まりに、平和への決意を新たにしたいと思うのでございます。
葉上阿闍梨の夢、それは果てしなき道であったと思いますが、その一つの大目標は、モーゼの十戒のシナイ山における合同礼拝の実現でありました。
昭和52年5月、エジプトのイスラム教最高審議会の招聘により、葉上阿闍梨を団長に日本の超宗派使節団がエジプトを訪問、サダト大統領と会見。同11月、サダト大統領の劇的なイスラエル訪問、両国和平の成立、シナイ半島のエジプト全面返還。これを受け、葉上阿闍梨は、大統領の勇気を讃え、さらに宗教の垣根を越え、他宗教に対する尊敬と平和を確かなものにするため、シナイ山での諸宗教による合同礼拝を提案。サダト大統領はその提案を実現、昭和54年、シナイ山麓での返還式典に際し、イスラム、ユダヤ、キリストの三教が画期的な合同礼拝をおこなったのであります。
しかし、サダト大統領は不幸にも狂信者の凶弾に倒れました。宗教協力による平和、民族和解の道程は極めて険しく、命懸けの勇気と叡知と寛容と忍耐を必要とします。このサダト大統領の大志を生かさんと、葉上阿闍梨らの呼びかけで、昭和59年、アメリカ、イスラエル、エジプト、日本の各宗派が参加、「人類の和解と世界平和」を祈る合同礼拝がシナイ山で行われました。この歴史的意義深いシナイ合同礼拝の参加者たちは、世界宗教サミット開催を夢見ました。そして、3年の歳月をかけ準備が進められ、昭和62年、画期的な比叡山世界宗教サミットが、実現いたしました。
葉上阿闍梨は、戦争と殺戮の20世紀に終止符を打ち、2001年を「平和暦元年」にと提言されていました。しかし、私たちは、核の危機、民族・宗教紛争、地球環境の深刻な悪化、先端技術と生命倫理の問題等、前世紀からの重荷を引きずり今世紀に突入しています。私は、宗教協力の長い歴史の中で、未来は倫理の問題だと教えられました。生命の尊厳、尊敬と信頼、寛容と赦し等、人類普遍の倫理の確立が、現代の宗教者に課せられた最大の使命だと思うのでございます。
以上講演抜粋