今年も明けて早、ひと月がたちました。暮れの大掃除(おおそうじ)で清々しくしたところも、すでにホコリが溜まり始めたでしょうか。今から年末の大掃除に備えてというわけではありませんが、今回は掃除についてです。
さて掃除は喜んでというより、仕方なくする程度に軽々しく考えられがちですが、実は大変大事な事なのです。たとえば日本には昔から剣道、弓道、柔道、茶道、華道など、何々道といわれる武術や稽古事(けいこごと)がたくさんありますが、それらの稽古の前とあとには必ず稽古場の清掃をします。それは、剣道について言えば、剣の技術そのものの習得と同時に、剣を手段とした心を磨くための道であるのですから、心をこめて道場の清掃をすることもまた剣道の中の大事な修行になるのです。剣の奥義(おうぎ)を極めることは即ち、人間の奥義を極めることで、そのために道場の清掃はきわめて大切な修行なのです。
また、仏道に励む僧侶の世界でも日頃の修行として、これも昔から、
一、作務(さむ) 二、勤行(ごんぎょう) 三、学門(がくもん)
と言われてきました。まず、一番が作務です。作務とは、掃除や片付け、庭の草取りや、昔ですと薪(たきぎ)を割ったり風呂をたいたりとか、要するに体に汗して働く作業です。その中でも作務の代表は掃除です。
そして、二番目に勤行。これはお経を読んだり、坐禅をしたりのお勤(つと)めです。そして最後にお経やその他の勉強です。今の子供なら、「一に勉強二に勉強、掃除なんかしなくてもいいから勉強していなさい」と言われそうですが、お寺の小僧さんは掃除が一番、勉強は三番目です。仏教は人格を完成させるための教えで、その手段のひとつとして作務の大切さを教えるのです。お経の勉強や、お経を読んだり坐禅したりの勤めももちろん大切なのですが、「なんだそんなこと」と、おろそかにされがちな掃除などが、実は心を磨くのに大変重要なのだということを教えるために、作務は僧侶の勤めの第一番になっているのです。
お釈迦さまのお弟子に、ある兄弟がいました。兄のマハーパンタカはお経の勉強もよくできましたが、弟のチューダパンタカはお経の短い文句をも、なかなかひとつ覚えられません。そこでお釈迦さまはチューダに「おまえはお経の勉強はいいから掃除をやりなさい。目につくところをみんなきれいにしなさい」と言われ、チューダに掃除用具と「塵(ちり)を払(はら)い、垢(あか)を除(のぞ)く」という短い言葉を与えられました。そんな短い言葉ひとつをすぐ忘れるほどのチューダですが、チューダはお釈迦さまの言われるとおりに、その日から箒(ほうき)と塵取(ちりと)りを持って「塵を払い、垢を除く。ちりをはらい、あかをのぞく」と、その言葉をひとつ覚えに、そこら中を掃除して回りました。人が汚したものでも何でも、汚れを待っているかのようにきれいにして回ったのです。そうしている内にすっかり心の垢がとれ、頭の良い兄を追い越して誰からも慕われるやさしい人となったということです。