現在のページ:トップページ > 天台宗について - 天台座主
天台宗総本山延暦寺の住職として宗祖伝教大師からの法脈を相承し、天台宗徒及び檀信徒の敬仰する天台宗の信仰の象徴的存在です。
現在、座主職の欠職は許されず、座主が万が一の場合は、探題(たんだい)職の順位で次席の者が直ちに上任する定めになっています。
探題職は、望擬講(ぼうぎこう)、擬講(ぎこう)、已講(いこう)という定められた経歴法階を歴任し、探題に補任されます。探題補任順位の首席が延暦寺住職として天台座主に上任されます。
元来、座主とは僧団の中で学徳優れた上首を意味し、伝教大師の中国天台山での師である道邃和尚は、天台山修禅寺座主と呼ばれていました。
比叡山でも宗祖伝教大師最澄上人のあと、義真和尚が法脈を継ぎ座主と称しましたが、官符によって公に座主職が任命されたのは、義真和尚に続く円澄和尚のあと、慈覚大師円仁和尚からです。
これ以降、江戸時代末に至るまで天台教学の両輪である止観、遮那両業に通達した者が、天台座主として朝廷から勅旨によって任命されてきました。また、平安中期以降、摂関・院政期以降は、皇族や貴族の出身者が多く任ぜられるようになりました。
慶応四(1868)年に、第231世昌仁座主が守脩親王として還俗されて以降、一時期座主職の補任は廃止されましたが、その間も法脈は継承され、明治17年に座主の公称が許され今日に至っています。
現天台座主大樹孝啓大僧正は、義真和尚から数えて258世となります。