お釈迦様に、周利槃特(しゅりはんどく=チューダ・パンダカ)というお弟子さんがおられました。とても物覚えが悪く、自分の名前まで忘れてしまうので、名札の「名荷」を首にかけていましたが、それさえも忘れてしまう程です。(名荷が茗荷に似ていることから、迷信で茗荷を食べると物忘れがひどくなるというのは、ここからきています。)
そんな槃特(はんどく)は、精舎を出る決心をして、お釈迦様の所へ行きました。
「お釈迦様。私は、愚か者で、みんなの修行の邪魔になるので出て行きます。」
お釈迦様は、「自分が愚かだと気づいている人は、愚かではない。自分は、賢いと思い上がっている人が愚かなのだよ。」と諭して、槃特の掃除好きを見越して、一本の箒を渡し、「塵を払わん 垢を除かん」 (ちりをはらわん あかをのぞかん)という言葉を教え、掃除の時に唱えるよう励ましました。槃特は、こんな短い言葉でも忘れそうになりながら、何年も何年も箒を持って「ちりを払わん あかを除かん」と唱えながら掃除をしました。
一つの事に打ち込んでいる槃特(はんどく)に、周りの弟子達も一目を置き、尊敬するようになりました。
ついに槃特は、「ちりやあかとは、執着の心なのだ。」
「汚れが落ちにくいのは、人の心も同じだ。」と気づき、悟りを得たのです。
私の師匠は、中学三年で弟子入りし、反抗期を迎えていた私に、手をあげることも、きつい言葉を浴びせることもない優しい人でしたが、お寺を綺麗にして、自分も、また、周りの人も気持ち良くなる様努めて、心を込めてお経を唱えることが大切で、「お坊さんは、一に掃除。二にお経。」との基本を教えてくれました。
たとえ、仕事・分野が違っても「一掃除 二看経」に通じる基本が有る筈ですから、もし、道に迷ったなら、原点に帰り、基本を見直す事が最善な方法ではないでしょうか。
(文・清水 信顕)