天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第104号

東松島市グリーンタウン 仮設住宅に待望の軽トラック
天台宗有志5教区の12ヵ寺が贈る

 東日本大震災で家を失った人々が暮らす宮城県東松島市大塩緑が丘の仮設住宅「グリーンタウン」に軽トラックが届けられた(写真)。贈ったのは天台宗有志寺院の十二カ寺。全国から届けられた物資を運んだり、買い出しのために使われるのはもちろん、ボランティアの人々も自由に使える。待望久しかった仮設住宅の「足」に住民からは「天台さん、ありがとう!」。

 グリーンタウンには、現在約五百四十世帯が暮らす。
 津波で寺を流された石川仁徳萬寳院住職が支援活動を行っていることもあり、天台宗からも多くのボランティアが入っている。
 これまで、物資の運搬は、災害支援車に指定された石川住職の自家用車や、四月にボランティアに入った茨城教区の天台宗寺院の軽トラを借りて行っていた。
 しかし、石川住職の車は、震災前に走行距離二十二万キロ、半年でさらに四万キロを走り、何回も海水に洗われ、ポンコツ同然に。
 また、いつまでも借りた軽トラに甘えるわけにもいかず「自家用車では運べない物資運搬に使う車が欲しい」というのは仮設住宅住民の悲願となっていた。
 その話を聞いた天台宗の有志寺院が教区を越えて呼びかけた結果、陸奥、埼玉、北総、
南総、茨城の五教区の有志寺院十二カ寺が基金を拠出した。
 関係者は「最初は、五十万円ぐらい集まれば、と思っていた」と明かすが、一週間足らずで百九十四万円が集まった。早速、地元の箟峯寺の会計関係者が業者と交渉し、九月二十日に納車された。被災地の要望にすばやく応えたことで感謝の声があがっている。
 軽トラは登録の問題もあり、一応石川住職に贈った形がとられているが、石川住職は管理をするだけという。「必要な人は誰でも使って欲しい。グリーンタウンの住人はもちろん、ボランティアの人も、地域の人も、垣根は設けない」。
 誰でも運転できるようにするために保険は一番手厚いものに加入。雪の深い地域だけに四輪駆動、スタッドレスタイヤと装備も万全だ。荷台にはアルミのコンテナを載せる案も検討されている。

住民の足となり、力となって欲しい

 千葉亮賢天台宗陸奥教区宗務所長は「被災地には、何より機動力が必要。この軽トラックが住民の足となり力となって欲しい。一隅を照らす車です」という。
 また佐々木了章箟峯寺住職は「仮設住宅から本宅へと最後のひとりが引っ越しをする、その時を最後の仕事とするまで、この軽トラには頑張って欲しい」と語った。
 なお、軽トラ購入後の浄財は、石川住職を通じて仮設住民のために使われる。
資金協力寺院は次の通り。()内は教区、住職(敬称略)。
來迎寺(埼玉・横山亮英)、觀音寺(茨城・松居照邦)、養雲院(茨城・大泊孝祐)、妙行寺(茨城・大宮孝舒)、円密院(茨城・山内良晃)、二本松寺(茨城・森良仁)、妙行院(茨城・大貫広暢)、観音教寺(南総・濱名徳永)、東榮寺(北総・玉田法信)、昌福寺(北総・山野井亮祥)、常蓮寺(北総・井上光映)、箟峯寺(陸奥・佐々木了章)。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

海にいるのは あれは人魚ではないのです。
海にいるのは あれは 浪ばかり。

「北の海」 中原中也

 東日本大震災以後、詩人たちが中原中也に注目しているという記事が大新聞に掲載されていました。
 その一人、佐々木幹郎さんが注目したのは中也の長詩「盲目の秋」の一節「風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る」です。もちろん東日本大震災をテーマにしたものではありません。八十一年前に書かれたものです。宮城県気仙沼市を訪れた佐々木さんは「この光景を前にしたら、あの詩の言葉以上のものはない」といっています。
 中原中也賞を受けた辺見庸さんも、故郷の宮城県石巻市を襲う大津波の映像をみながら「『風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る』という言葉が自然に湧いてきた。あの光景にこれほどふさわしい詩の表現を知らない」といっています。
 もうひとつ中也の詩で、忘れられない印象を残すのは「北の海」です。
 「海にいるのは あれは人魚ではないのです。海にいるのは あれは 浪ばかり。 曇つた北海の空の下、浪はところどころ歯をむいて、空を呪つてゐるのです。いつはてるとも知れない呪」。
 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた海岸沿いに立ってみれば、解説など不要だと思われます。どのように理解するのも自由です。イメージ、心象風景としてこれ以上の言葉はないと思わせられます。
 佐々木さんは「あの惨状を表現する言葉がなく、情けなかった。本能的に技術でまとめようとしているのも嫌でならなかった」と発言されています。テクニックでは限界があるということでしょうか。「無限の前に腕を振る」にしても「海にいるのは あれは人魚ではないのです」にしても、机の前で頭をひねくり回しても出てくる言葉ではないように思われます。
 中也には重くのし掛かった「汚れちまった悲しみ」があったのですが、その喪失感、浄化された魂から生まれた言葉が、今回の悲劇を表す言葉になったのかもしれません。

鬼手仏心

せめて豪雪でなく 天台宗法人部長 山田 亮清

 
 東日本大震災の被災地は、初めての本格的な冬を迎えます。
 都会の人々は、雪と聞くとロマンチックな光景を想像されますが、雪深い地域に住んでいるものにとっては、冬は雪との闘いです。湿気を含んだ重い雪は、住民を家の中に閉じ込めるばかりではなく、雪下ろしをしなくては家が潰されてしまいます。
 東日本大震災発生直後、体育館を避難所に生活をしている人から「寒くてとても寝られない」というお話を聞きました。体育館は広すぎて暖房が効かないのです。仮設住宅で生活する人々にとって、また厳しい冬になるでしょう。そのつらさが思いやられます。
 皆さんは「海に降る雪」を見たことがあるでしょうか。
 雪は、空と海のさだかならぬ混沌としたところから降ってきます。
 荒れる海に降る雪は、何とも言えない寂しい気持ちをかき立てます。あたかも、亡くなった人の魂のようでもあり、涙のような気もします。まして、今なお四千人近くの方々の行方が分かりません。そのご家族の気持ちを思うと何とも言いようのない心境になります。
 海辺は風の烈しいところで、特に冬は吹き荒れるという形容がぴったりです。夜中に、海を吹き荒れる風の音、吹雪の気配を感じると、私ども東北で育った者は、毎年のことであっても平穏な気持ちではおられません。
 特に今年は、東日本大震災をはじめ、九月の台風十二号および十五号が、紀伊半島や中部地区をはじめ全国各地に甚大な被害をもたらすなど、天変地異が相次いでいます。自然の猛威の前に、人間の小ささを感じます。せめて今年は豪雪でなければ、というのは東北人すべての願いでしょう。

仏教の散歩道

競争は醜いものだ

 山道を歩いていて、二人の男が熊に襲われました。二人は一目散に逃げます。しかし、どう考えても熊のほうが速い。そこで、一人が言いました。
 「もうだめだ。熊より速く走るなんて無理だ」。
 もう一人が言います。
 「なあに、きみより速く走ることができればいいんだよ」。
 なるほど、その通りです。どちらか一人が熊の犠牲になります。そのあいだに逃げれば、もう一人が助かるわけです。これは小田亮著『利他学』(新潮選書)に出てきた小噺です。
 わたしたち現代日本人は、どうも競争というものを美化し、讃美する傾向があります。競争によってお互いが切磋琢磨(せっさたくま)し努力する。そして、それによってともに進歩向上する。競争とはそのようなものだと思って、競争することはよいことだと考えるのです。
 でも、競争とはそういうものではありません。熊から逃げる二人の男のようなものです。相手より速く走ることのできたほうが勝者になり、遅いほうが犠牲になります。競争する二人は、相手が熊に食われることを願っています。競争は醜いものです。
 こんなふうに考えてください。たとえば、二人に一個しかパンがないとすれば、二人が半分こして食べます。そうするとおいしくいただけます。そこには競争原理はありません。二人は仲よく暮らせます。
 では、二人に一人分しか仕事がないとします。その場合、二人が仲よく暮らしたいのであれば、一人分の仕事を二人で半分ずつに分け合えばよいわけです。もちろん、給料は半分になるでしょう。その代わり、労働時間も半分になります。これが、ヨーロッパなどで行われている
|ワーク・シェアリング|
の考え方です。
 ところが日本では、二人に一人分の仕事しかなければ、経営者はすぐに一人を首切りにします。そうすると二人の労働者は競争せねばなりません。この場合の競争は、熊に追いかけられた二人の男と同じです。経営者が熊です。逃げる二人は、相手よりも自分の方が経営者に気に入られると勝ちになります。そして、負けた方が首を切られるのです。
 競争というのは、こういうものです。醜いものだと思われませんか。
どうして、二人で仕事を分け合おうとしないのですか。熊に追いかけられたとき、どうして二人で一緒に死のうよ…と思わないのですか。他人が死んで、自分が助かれば万々歳。いつから日本人は、そんなさもしい人間になったのでしょうか。
わたしたち仏教者は、競争というものはそんな醜いものだと思うべきです。まかりまちがっても競争を讃美してはならないと思います。

カット・酒谷 加奈

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