天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第110号

祖師先徳鑽仰大法会総開闢法要奉修
10年に亘る大法会がスタート 4月1日・延暦寺根本中堂

 宗祖伝教大師、慈覚大師、恵心僧都、相応和尚(かしょう)の四祖師の遺徳を讃える「祖師先徳鑽仰大法会」が去る四月一日、開闢となった。同日午前八時四十五分、延暦寺根本中堂において、半田孝淳天台座主猊下を大導師に、天台宗・延暦寺の役職者からなる同大法会事務局員の出仕で「祖師先徳鑽仰大法会総開闢法要」が厳かに営まれた。

 法要は、半田座主猊下の大導師のもと、天台宗からは大法会局長である阿純孝宗務総長、延暦寺より同奉行である武覚超執行、宗内局各参務、延暦寺各副執行などが出仕、天台宗の僧侶並びに檀信徒など僧俗あげて大業完遂を、ご本尊薬師如来尊像に祈念した。これにより、いよいよ十年に亘る大法会の幕が開かれることになった。
 同日は、総開闢法要厳修の後、大講堂前において、慈覚大師一千百五十年御遠忌法要の角塔婆開眼法要も営まれた。
 同大法会は、平成二十四年四月から同三十四年三月までの十年間を二期に分け、第一期は慈覚大師一千百五十年御遠忌、第二期は伝教大師御生誕一千二百五十年、伝教大師一千二百年大遠忌、恵心僧都一千年御遠忌、相応和尚一千百年御遠忌で、それぞれに大法要、記念事業が営まれる。
 同日の法要終了後、延暦寺会館において記者会見が行われ、阿大法会局長が「我々人間は高度に科学技術を発展させ豊かな生活を享受してきた。しかし、東日本大震災による原発事故などで見られる如く、自然に対する畏敬の念を忘れつつある。今一度、人間を含めた全ての存在が仏性を持つことを再確認するため、宗祖の言葉から『道心』を統一標語として掲げた。そして、副標語は、天台の教えをもとに『山川草木みなほとけ』とした」と、今回の大法会のテーマについて説明。
 また、記念事業として、昭和三十年に行われた修理以来、諸処に不具合が生じてきていることや、耐震対策のため、約六十年振りに根本中堂を大修理することを明らかにした。
 更に、長年の懸案であり、宗教面はもちろん、日本文化のあらゆる面で影響を与えてきた天台教学とその関連項目を体系的にまとめた『天台学大辞典』(仮称)の出版、そして結縁潅頂のすすめ、写経の推進なども発表された。 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

それがどうした

伊集院静

 毎年四月になると、洋酒メーカーの提供で「新社会人へ贈る言葉」が新聞に掲載されます。かつては山口瞳さんが書いていましたが、現在は伊集院静さんに引き継がれています。
 今年の言葉は「落ちるリンゴを待つな」でした。
 伊集院さんは「大変なことがあった東北の地にも、今、リンゴの白い花が咲こうとしている。皆新しい出発に歩もうとしている」と書いたあと「落ちるリンゴを待っていてはダメだ。木に登ってリンゴを取りに行こう」と続けます。
 「リンゴの花のあの白の美しさも果汁のあふれる美味しさも厳しい冬があったからできたのだ。風に向え。苦節に耐えろ」というのは、新社会人でなくても、十分うなずけます。
 かつて、週刊誌を万引きして捕まった男が「伊集院さんのエッセイを読みたかったから」と供述しているという新聞記事がありました。万引きは犯罪ですが、食品や衣類ではなく「エッセイが読みたいから」というのは、聞いたことがありません。作家にとってこれ以上の評価はないといってもよいと思います。もちろん万引きはいけませんよ。
 それはともかく、社会に出て苦節数十年を過ごしている人には、同じ伊集院さんの言葉でも「それがどうした」の方が勇気づけられるかもしれません。元プロ野球選手で現在はスポーツキャスターとして活躍する青島健太さんは、二十数年前に六本木の裏通りにある小料理屋で「それがどうした 伊集院静」とある色紙を見たと書いています。
 悲しいこと、理不尽なこと、悔しいこと、どうしようもないことが人生にはあります。伊集院さんも、妻であった夏目雅子さんとの死別、在日の出自を告白しています。またプロ野球史上、二十人目となる公式戦初打席初本塁打を放った青島さんも、やがては故障も相次ぎ一軍と二軍を行き来する日々が続き、引退することになります。
 「『それがどうした』は伊集院氏の生き方と重なって、明日を生きるための言葉として私の中に根を下ろしている」と青島さんは記しています。

鬼手仏心

「髪着きの翁」 天台宗社会部長 村上 圓竜

 
 「慈覚大師和讃」の作者である尊寿院圓龍僧正(上月興名(かみつきおきな))について紹介したい。
 江戸から明治にいたる天台僧で、尾張藩の東照宮別当尊寿院の住職であり、春日井密蔵院・比叡山延暦寺日増院をも兼帯し、尾張の天台宗のみならず寺社勢力の棟梁にいたと思われる。
 文人の誉れ高く書画・陶芸・漢詩・書道・篆刻(てんこく)と多芸にわたり、特に書は十六代藩主義宣の幼少の師範を務め、画は山本梅逸・日根野対山に学び、優れた遺作が多く残されている。風華翁(ふうかおう)雲阿の雅号をはじめ、百以上の雅号があったという。漢詩の才もあり、慈覚大師和讃が優れているのも肯ける。特に六字で区切る漢詩が得意で「六字吟僧」の雅号を持つ。
 ここからが物語である。
 絶頂にあった圓龍は、明治政府成立と同時に別当職が廃止され隠居し、還俗して明治二年五月名古屋東照宮の禰宜(ねぎ)となる。還俗した自らを嘲笑するかのように、名前を「髪着(かみつ)きの翁(おきな)」と改めた。
 これまで常に最上座であった圓龍の上座には、神主吉見家が座した。このころ歌った狂歌に「くそ坊主 罵詈(ばり)すてにして よの人を あやす禰宜と なりにけるかな」とある。当然、東照宮の禰宜も長くは続かず、最後は地方の小社に転じて生涯を終えている。
 徳川幕府に依存していた天台宗の僧侶に限らず明治の新政権で翻ろうされた僧侶の物語である。この時代は多くの僧侶が居場所を失い、失意と新たな生き方を模索せねばならない状況に晒された。幸せな時に詠んだ和歌にて、圓龍僧正の素養を偲びたい。
 「雲といひ 雪とたたへて山桜 
 はなに心の あまるころかな」
 享年七十三。

仏教の散歩道

仏に対する祈願

 キリスト教の『新約聖書』に、
 《祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい》(「マルコによる福音書」十一) といった言葉があります。これはイエスの言葉です。
 これを読むと、たいていの人は、〈おかしい〉と思います。なぜなら、わたしたちは得られていないから祈り求めるのです。お金がないから、お金をくださいと祈り、病気が治らないから、治してくださいと祈るのです。それなのに、お金がすでに 得られている、病気がすでに治っていると信じなさいと言っているのだから、おかしいと思って当然ですよね。
 じつは、この言葉を正しく理解するためには、もう一つのイエスの言葉を知っておかねばなりません。それは、
 《あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ》(「マタイによる福音書」六)
 です。あなたがたの父というのは、神のことです。神は、われわれに何が必要なのかをちゃんと知っておられます。
 もしもわれわれに本当にお金が必要であれば、神は、お金を授けてくださるはずです。だから、わたしたちが口に出して祈る前に、すでに神はわたしたちの祈りをかなえてくださっているはずです。というのが、「すでに」といった言葉の意味です。そう解釈すればよいと思います。
 そして、このことは、仏教においても同じであると思います。
 仏は、すべての人を幸福にしたいと願っておられるのです。それ故、わたしたちが仏に願いごとをする前に、すでに仏は、わたしたちを幸せにしてやろうと、あれこれのことをしてくださっているのです。
 だから、わたしたちは仏に願いごとをする前に、その願いごとは仏がすでにかなえてくださっている。わたしたちはそのように信じなければなりません。それが信じられない人は、真の仏教徒とは言えないとわたしは思います。
 でもわたしたちはなかなかそのように信じられないでしょう。わたしたちはついつい、
 〈わたしがこのように祈願しているのに、なぜ仏はわたしの願いを聞いてくださらないのか〉
 と、仏を怨めしく思うことがあるのではないでしょうか。
 そんな場合は、このように考えればよいと思います。たとえば、お金をくださいと祈っても、いっこうにお金が与えられないときです。
 そのときは、わたしが金持ちになれば、きっとそのお金のためにわたしが大きな失敗をし、かえって不幸になる。だから、仏はわたしに「あなたは貧しいままでいたほうが幸せなんだよ」と言ってくださっているのだ、と。そのように思えば、仏を怨めしく思うこともなくなると、わたしは考えています。

カット・酒谷 加奈

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