天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第128号

第27回「世界宗教者平和の祈りの集い」
ローマで開催 世界各地から宗教指導者が参加

 聖エジディオ共同体が主催する第二十七回「世界宗教者平和の祈りの集い」が九月二十九日より十月一日まで、イタリア・ローマにおいて開催された。この集いは、一九八六年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下が呼びかけ、聖エジディオ共同体が主催してアッシジで始まり、今年で二十七回を数える。今回のテーマは「『希望』の勇気」で天台宗からは、栢木寛照天台宗宗議会議長を団長に、使節団が組織され十六名が参加した。

 九月二十九日は、ローマ市内、コンチリアツォーネホールにおいてオープニングセレモニーが開催され、イニャツィオ・マリーノ・ローマ市長、聖エジディオ共同体創始者であるアンドレア・リッカルディ・ローマ大学教授、エンリコ・レッタ・イタリア首相らが挨拶。引き続き行われたパネルディスカッションでは、イスラームやギリシャ正教、ユダヤ教、ヒンズー教らの代表者が、シリア情勢など、現在直面している問題について意見を交わした。
 三十日、十月一日は、三十以上の分科会に分かれ、宗教間の対話、貧困や暴力、移民や難民問題、環境、グローバル化問題など、多岐に亘るテーマを基に世界各地から集まった宗教者が討議を行った。天台宗では、「希望と平和:日本の諸宗教」というテーマの分科会において栢木天台宗使節団団長がスピーチ、「互いの教義立場を超え、対話による相互理解を深め、共に手を携えて『平和』を希求し続けねばならない」と提言、大きな賛同の拍手を受けた。
 一日夕刻には、各宗教、宗派で平和の祈りの法要が執り行われた後、ローマの中心地のカンピドリオ広場でファイナルセレモニーが行われ、平和宣言が採択された。
 なお、使節団は翌日に行われたローマ教皇一般謁見式にも参加した。
 一般謁見式に先立ち、使節団はバチカンでジャン=ルイ・トーラン枢機卿(教皇庁諸宗教対話評議会議長)を訪問。これまでの比叡山宗教サミットなどへの協力に感謝し、御礼を述べると共に親しく歓談した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 いつも母から「道はアングリアングリ歩くものではない」と言われた。道のシャンと歩けぬものは、人の上にはたてぬ。道を歩いている姿が一番人の眼につくものである。

宮本常一『家郷の訓』

 近頃、道で、スマートフォンを操作しながら歩いている人をよく見かける。主に若者だが、中年の人も、ちらほらいる。
 当然、周囲に対する注意力は散漫となり、見ていて「危なっかしいなあ」と思う。事実、ひったくりに遭ったり、駅のホームから落ちたりするニュースを時々聞く。或いは、他の人とぶつかって、トラブルを引き起こしたりしている場面に出くわすこともある。
 昔は、もっと姿勢も良く、周囲に対しても心配りをする通行人が多かった気がする。
 ことわざに「家を出ずれば七人の敵あり」とあるように、一歩、家を出れば、そこは世間の公道であり、何が身に降りかかるか分からない。
 このことわざ自体は、もっと抽象的な意味で、世を渡っていく上で、色んな敵や苦労があるということだろうが、心構えとしては、同じだろう。
 家の外は「私的空間ではない」という意識が薄れてきているのだろうか。電車の中で、一心不乱に化粧をしている女性や、大声で辺り構わずおしゃべりに夢中の人たちを見るにつけ、そんな印象を受ける。
 日本は海外の街中に比べて安心して歩ける治安の良さがあるようで、それに慣れてしまっていて、海外に行った時、盗難などに遭いやすいとも聞く。
 合気道の大家を友人に持つ人が「その人が街中を歩いているとすぐわかる。他の人と姿勢が全然違って、周囲に対する目に見えない注意力が感じられる」といっていた。
 昔の武士なども、往来を歩く時には、背筋を立て、辺りへの注意も怠りなく、油断のない姿勢だったようだ。
 まあ、そこまでいかなくとも、私たちもシャンと歩きたいものである。

鬼手仏心

ユーモアのすすめ 天台宗出版室長 杜多 道雄

 世相をユーモアと風刺のセンスで表現する川柳は大人気のようである。サラリーマン川柳、シルバー川柳、女子会川柳をはじめ、なんとトイレ川柳まで作品を公募している。
 ユーモアは、人生を楽しむスパイスともいわれるが、川柳の根底には、そこはかとなく人の心をほのぼのとさせる働きがあり、それが多くの人の共感を呼ぶのであろう。
 生粋の江戸っ子だった池田彌三郎さんが富山県魚津市の新設の女子短大に看板教授として招請された時、あまりの魚のうまさに、年来の友人の山本健吉さんに「寂しいね、魚を食べにおいでよ。一緒に飲もう」というハガキをだした。それもストレートにだしたのではない。「ブリさし イカさし さしすせそ」とただ一行書き送った。
 文芸評論家の山本さんも江戸っ子である。池田さんの心中を察し、「東京にも旨いものはあるよ。こっちも寂しいよ。是非会いたいね」との返信をしたため、それもたった一行、「タラちり フグちり ちりぬるを」と書いた。
 この二人の往復書簡の下敷きになったのが、両氏の敬愛する師の久保田万太郎さんの「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」という句であるという。そして、この句には、太田道灌の相模国の小机城を攻略した際、味方を鼓舞するために詠んだ「小机は まず手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりに」を本歌として、子どもの遊びを題材に言葉遊びを楽しむ心のゆとりが見て取れる。
 ユーモアのセンスは心のゆとり度を示すバロメータという。人生の達人ほどユーモアをよく解するといえよう。
 さて川柳について四年間思いつくままに書いてきたが、いつの間にか任期を迎えることとなった。本欄を担当してくれた横山編集長に謝意を表する。

仏教の散歩道

真実の言葉

 マーガンディヤーという名の絶世の美女がいました。両親は彼女を溺愛し、あちこちから来る縁談をすべて断わります。いわゆる箱入り娘として大切に育てていたのです。
 ところがある日、マーガンディヤーの父親が釈迦世尊に会いました。父親は世尊を一目見たとたん、
 〈この男こそ娘の婿にふさわしい人物だ〉
 と思います。そこで世尊を家に招待し、娘のいる前で、
 「どうか還俗して、娘の婿になってほしい」
 と要請しました。しかし、釈迦世尊は、あまりにも娘に執着している両親を救うべく、その申し出を拒絶し、こう言われました。
 「わたしはかつて天女に誘惑されたこともある。その天女の誘惑にも負けなかった人間だ。わたしは、大小便の詰め込まれたこんな女の足にさえ触れようとは思わぬ」。
 じつは古代のインド人は、天女には不浄の液体がいっさいないと信じていました。すなわち天女には、鼻汁だとか膿(うみ)、汗、そして大小便がないのです。そのような清潔な天女の誘惑にも屈しなかった自分が、不浄の液体を持った人間の女性に魅力を感じるはずがないと、釈迦世尊は言われたのです。
 そして、いくら美貌の娘でも、いつかその容色は衰えます。美貌に執着していれば、それが衰えたとき悲しまねばなりません。いや、愛する者との別離は必ずあるのです。娘が先に死ぬか、両親が先に死ぬか、それは分かりません。しかし、死は必ずやって来ます。愛すれば愛するほど、その別離は悲しい。愛に執着することの危険を、世尊は諄々(じゅんじゅん)と説かれました。その世尊の説法を聞いて、マーガンディヤーの両親は目覚め、娘を弟に託して出家して釈迦の弟子となりました。
 それはそれでよかった。けれども、娘のマーガンディヤーは釈迦の言葉に傷つき、深く釈迦を怨んでいます。両親は釈迦によって救われましたが、娘のほうは救われなかったのです。
 それにしても、釈迦世尊の言葉―大小便の詰め込まれた女―は、ちょっとひどいですね。何もそこまで言わないでもよいではないか、とわれわれは思います。
 だが、その冷酷なる真実を言わなければ、逆に両親のほうが救われなかったかもしれません。言葉をオブラートに包んでいては、わたしたちはなかなか真実に目覚めません。そして、真実というものは、本質的に冷酷なものです。たとえば、末期癌の患者に、
 「あなたはもうすぐ死ぬよ」
 と言うのは冷酷です。だから、わたしたちは言葉を濁してしまうのです。
 釈迦世尊は、いつだって真実を語っておられます。その冷酷なる言葉によって傷つく者がいても、世尊は言葉を濁されません。つまり世尊は、真実の言葉によって救われる人を救われたのです。わたしはそう思います。

カット・酒谷 加奈

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