『引きこもりの悩み』
「わたしは大学に入るには入ったのですが、最後まで続けることができずに、ついに引きこもりになってしまいました。どうしたらいいでしょうか……?」
北海道の旭川で開かれた仏教講演会のあとで、二十歳前後の若者が講師控室にやって来て、そんな質問をしました。このような質問にはタイミングが大事です。単刀直入に答えてあげないと、質問者のもやもやは晴れません。質問者は、なにも「正解」を求めているのではありません。ある意味で「正解」はわかっているのですが、ただもやもやと悩んでいる。そして、そのもやもやを晴らしてほしいのです。
だからわたしは、すかさずこう答えました。
「あなたは、引きこもっていればいいのですよ」
すると、その瞬間、若者の顔が輝いたのです。安堵の表情になりました。
彼はわたしの考えを聞く気になりました。そこでわたしは、次のような話を彼にしてあげました。
* *
わたしたちは子どものころから、
-世の中の役に立つ人間になれ!-
と教えられてきました。耳に胼胝(たこ)が出来るほど、そんな言葉を聞かされてきました。
だが、世の中の役に立つ人間って、どういう人ですか?戦争中であれば、敵兵を一人でも多く殺せる人間が世の中の役に立ちます。つまり、世の中の役に立つ人間になれと言うことは、人殺しになれと言うことになります。
現在の日本においては、経済活動を活発にやる人間が世の中に役に立つ人です。けれども、経済活動が活発になれば、地球の資源を浪費することになります。そうすると資源の涸渇を招き、エネルギー危機になり、地球環境が破壊されます。それゆえ、現在、世の中の役に立っている人々は、おそらく二十二世紀の人類から、地球をダメにした極悪人として告発されるでしょう。そして、ホームレスの人々が、
「あなたがたは地球にやさしかった」
として表彰されるでしょう。
このように、世の中の役に立つ人間は、時代によって違っているのです。いま引きこもりの人たちは、二十二世紀になると表彰状が貰える人なんですよ。引きこもりでじくじく悩む必要はありません。
『二割と八割の法則』
いや、それよりも-。
考えてみてください、世の中の役に立っていない人間なんているのですか……?!
わたしたちは、優等生が世の中の役に立つ人間で、劣等生は役に立っていないと思っています。しかし、劣等生がいなければ、優等生は存在しないのです。優等生は、劣等生のおかげで優等生になれたのだから、劣等生に感謝しなければなりません。そして劣等生とは、彼らを優等生にしてやるという大事な仕事をしているのだから、堂々と胸を張って生きればいい。自分は劣等生だからダメなんだと、卑屈になる必要はまったくありません。
イタリアの経済学者のパレート(一八四八~一九二三)が、「パレートの法則」という経験則を発表しています。それによると、
-会社の中で優秀な二割の社員が全体の仕事の八割をやり、残りの八割の社員が残った二割の仕事をする-
ことになっているのです。そして、かりに優秀な社員ばかりを集めてグループをつくっても、同じ結果になります。また、クズの社員ばかりを集めてグループをつくっても、その中から優秀な人間が二割出てくるのです。
ということは、すべての人間を優秀な人間にすることはできないのです。クズが八割いて、二割の人間が優秀になれる。その意味では、八割のクズの存在が大事です。クズの人間だって、大いに世の中の役に立っているのです。
あるいは、こんなことも考えられます。もしもこの世から病人がいなくなれば、医者や薬剤師は生活に困ります。いや、そんなことはない。医師や薬屋は転職すればいいのだ、と言われるかもしれませんが、彼らが転職すれば他の職業の人が職を失うかもしれません。だとすれば、病人のおかげで医師や薬剤師が生活できるのであり、その医師や薬剤師が支払う金によって大勢の人の収入が保証されているのです。そうすると、いかに病人が世の中の役に立っているかがわかるでしょう。
同様に、泥棒のおかげで警察官が生活できるのです。
けれども、誤解しないでください。わたしは、泥棒をしていいと言っているのではありません。あるいは、病気になれとすすめているのではありません。そうではなくて、この世の中で優等生や努力家、健康でもりもり働いている人だけが役に立つ人で、劣等生や怠け者、病人は世の中の役に立たない人間だ、といったものの見方がおかしいと言いたいのです。
要するに、わたしが主張したいことは、
-この世の中で、なくていい人なんか一人もいない-
ということです。そして、それがほとけさまのお考えだと思います。ほとけさまは、劣等生は劣等生のままですばらしいのだよ、怠け者は怠け者のままですばらしいのだよ、と言われるでしょう。わたしはそう信じています。
* *
そのようにわたしは、引きこもりの若者に話しました。
その後、若者から手紙が来ました。
「自分は何度も自殺を考えたことがあるが、ようやく生きてゆく自信ができました」
といった言葉がありました。わたしはちょっとうれしくなりました。