天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第26号

曼殊院門跡第41世に
-半田孝淳大僧正が晋山-

 京都曼殊院門跡に4月16日、半田孝淳大僧正が晋山し第41世門主の法灯を継承した。半田門主は、天台座主を補佐する次席探題職でもある。半田門主の就任により、京都には半田門主をはじめ、小堀光詮三千院門主(探題)、森川宏映毘沙門堂門主(探題)と比叡山の天台座主を補佐する形が整った。

 曼殊院門跡は、京都五箇室門跡と呼ばれる由緒門跡のひとつで洛北屈指の名刹。宗祖伝教大師最澄上人により、比叡の地に創建されたが、天暦年間(947~957)、是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と号した。北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、以後明治維新まで北野別当職を歴任した。半田門主は、是算国師から数えて41代目となる。
 半田門主は、長野県上田市の古刹・常楽寺の住職で天台宗教学部長など要職を歴任し、現在は天台宗宗機顧問会会長。就任祝賀会には、渡邊恵進天台座主猊下や母袋創一上田市長など宗内外から約六百人が出席した。
 半田門主は「ご本尊様の思し召しとして、一和尚として老骨をなげうって勤めたい。法灯を守り、後の世に伝えるよう努力する。国内外に憂慮すべき事態が数多くあるが、この解決には宗教者があたらなくてはならない。88歳を迎えるが、今までローマ法王と11回お会いし、世界平和を語り合った経験から、その解決に少しでもお役に立ちたい」と語った。
(写真=お孫さんから花束贈呈を受ける半田新門主)


-宗教サミットの父(パパ)-
 ヨハネ・パウロ二世聖下を悼む

 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世聖下が、去る4月2日ローマ法王庁(バチカン)で逝去された。84歳だった。
 ポーランド人のヨハネ・パウロ二世聖下は1978年10月に264代の法王に就任。スラブ系では初の法王となった。キリスト教会の和解や異なった宗教との対話に力を注がれてきた。
 1986年には、イタリア・アッシジに諸宗教の代表的指導者を招き「世界宗教者平和の祈り」を開催。聖下の「異なった宗教どうしの対話が、世界平和への道を開く」という精神を継承して、翌1987年には日本で初めての「比叡山宗教サミット」が行われた。以来、天台宗と総本山延暦寺では、毎年8月に記念行事を開催している。
 また、2001年9月の同時多発テロの翌年1月には、世界の異なった宗教代表者を特別列車でアッシジに招き、世界平和を祈願したことは記憶に新しい。天台宗から代表団が参加して、平和実現を討議し、共に祈った。
 後任の第265世ローマ法王には、ドイツのラッツインガー枢機卿が選出された。
 ヨハネ・パウロ二世聖下のご逝去に対し、天台宗は次のように哀悼の意を捧げた。
     ●
 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の御遷化を心よりお悔やみ申し上げます。
 教皇聖下は、世界平和の実現のために、特に諸宗教の対話に力を注がれました。
 1981年に来日され、日本の宗教家を招かれたおりに「世界平和を実現する基本は、日本宗教界の古い指導者である最澄が『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』と述べられたこの慈悲の精神でなくてはならない」と宗祖の言葉を引用されたことに、我々天台宗徒は深い感銘を受けました。
 ヨハネ・パウロ二世聖下が提唱され、アッシジで世界の宗教者を集めて開催された「世界宗教者平和の祈り」に山田恵諦天台座主猊下が参加いたしました。そのことが契機となり、日本宗教代表者会議が結成され、日本で初めて国内外の代表的宗教指導者を集めて世界平和を祈る「比叡山宗教サミット」が1987年に開催されたのです。
 そのサミットに聖下は「平和は祈りなくしては成就しません。戦争は少数の人によって始められても、平和はすべての人々の連帯と協力とを必要とします」とのメッセージを寄せられました。
 今こそ、私たちは聖下のお言葉を、深くかみしめる秋(とき)であると存じます。
 ここに、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。 合 掌

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

この無機物と私と、どこに違った所があるのか。全く同じではないか。すべて真如に包まれている。そしていまの瞬間、私が死ねばそれは単に真如の許に帰って行くだけのことではないか。それから先どうなるか、それは如来の御意志のままである。

『司馬遼太郎が考えたこと1』より 司馬遼太郎著・新潮文庫

 作家の司馬遼太郎氏は、或る夜、草原に寝転がっていた。戦場で疲労困憊し、心臓と胃の他は全ての機能が停止してしまったような極限状況だった。
 ふと眼前に草花を見つけた。その瞬間、「ここにも生きものがある。しかも、それは、私という生きものと何ら本質の異なるものじゃない」と感じた。ささくれだった黒い砂漠の石を握ってみた時も、同様な思いに至る。この瞬間、氏は大きな衝撃を持って今までと違う世界に入った。
 それまでは、単に有機物である草花、無機物である石しか頭になく、自分と統合出来るものとして考えたことはなかった。しかし、この時、すべて真如(宇宙万有の実体)に生かされ、その前にあっては同じ存在だと感得したのだ。
 念仏が口の端に上ってくる。南無阿弥陀仏―。
 その時、自分を包む空気と合体し、砂漠の石くれとも合体した。死もたいした問題ではなくなった。静かな安堵が全身をひたし、あらためて生きる喜びを考えたという。

鬼手仏心

木のいのち  天台宗出版室長 工藤 秀和

 
 人には人のいのちがあるように、木にも、それぞれにいのちがあります。
 そのことは、日々自然に触れることで分かっていたつもりでしたが、先頃法隆寺金堂や、薬師寺金堂などの解体修復工事を手がけられた、宮大工棟梁の西岡常一さんの「木のいのち木のこころ」を読んで、一層その思いを強くしました。
 西岡さんは、千年生きた檜は、材にされてからも千年のいのちを持つと言います。
 五重塔などは、千三百年経っても空に向かって一直線に伸びているし、乱れもない。鉋をかければ、いまでも檜のいい香りがする。「この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の木やったら、少なくとも千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ」と語られています。
 「木は大自然が育てた命ですがな。木は物やありません。生き物です。人間もまた生き物ですな。木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木とよう話合って、命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ」。実に身震いするような尊い言葉で、考え方の根本だと思います。
 今の時代だけが満足するために、地球のいのちの声に耳をかさないことが大きな罪であることを自覚しなくてはなりません。自然と共に生きていく、そのことが溢れかえるモノに囲まれて暮らすより幸せであることに多くの人々は気づき始めています。
 今、天台宗は開宗千二百年慶讃大法会の真っ最中です。比叡山の根本中堂も、元亀の焼き討ちにあわなければ、当時の木のいのちが脈々と続いていたでしょう。

仏教の散歩道

不可思議ということ

 「ほとけさまは慈悲の存在です。ほとけさまは、私たち衆生-人間も動物も-が、みんな幸せになってほしいと願っておられます。先生は、先日、私が聴講した講演会でそのように話されました。でも、この世の中には悲惨な出来事がいっぱいあります。幸せになれずに、不幸に苦しんでいる人が数多くおられます。ほとけさまが慈悲の存在であれば、なぜこのような不幸な人を放置されるのですか? なぜ、苦しむ人を救ってあげないのですか? その理由を教えて下さい」
 そういった主旨の手紙が来ました。よくある質問です。
 そして、じつはその質問に対する答えは、まことに簡単です。それは、
 「あなたは、そういう質問をしてはいけない」
 というものです。いえ、別段、わたしはその質問から逃げているわけではありません。また、答えをはぐらかそうとしているのでもありません。まじめに答えているのです。
 これは仏教に関してだけではありません。キリスト教やユダヤ教、イスラム教においても、われわれ人間は、
 -神の意志-
 を尋ねてはいけないのです。神はどういうわけで、この世の中の悪を許しておられるのか、悪を放置したままであられるのか、そのような質問をしてはいけないとされています。
 なぜかといえば、仏や神の意志を問うことは、われわれ人間にそれが理解できると思っているからです。そう思っているのは、人間の傲慢さです。神や仏は絶対者であって、その考えはわれわれ人間にわかるはずがありません。そのことを、仏教の言葉では、
 -不可思議・不思議-
 といいます。思議(考えはかること)できないという意味です。わたしたち人間は、ほとけさまや神には何かお考えがあって、この世はこうなっているのだと信ずるほかありません。「これはおかしい、よくないことだ」と断定するのは、われわれ人間が神仏を裁いていることになります。
 たしかに、この世の中には、どうしようもない悪人がいます。罪もない小さな子どもを殺す殺人犯もいます。そんな人間はいないほうがよい-と、わたしたちは思うのですが、そう思うのは人間の越権行為です。ほとけの慈悲は、そういう殺人犯人にも及んでいることを、わたしたちは忘れてはいけません。
 また、〈なぜ、私がこのように苦しみ、不幸であるのか?!〉と、ほとけの慈悲がわからなくなることもあります。しかし、それは自分の立場から見ての話です。ほとけさまの立場から見ればどう見えるのか、わたしたちにはわかりません。わたしたちは、ただほとけの慈悲を信じることです。それが仏教者のあり方だと思います。

カット・伊藤 梓

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