曼殊院門跡第41世に
-半田孝淳大僧正が晋山-
京都曼殊院門跡に4月16日、半田孝淳大僧正が晋山し第41世門主の法灯を継承した。半田門主は、天台座主を補佐する次席探題職でもある。半田門主の就任により、京都には半田門主をはじめ、小堀光詮三千院門主(探題)、森川宏映毘沙門堂門主(探題)と比叡山の天台座主を補佐する形が整った。
半田門主は、長野県上田市の古刹・常楽寺の住職で天台宗教学部長など要職を歴任し、現在は天台宗宗機顧問会会長。就任祝賀会には、渡邊恵進天台座主猊下や母袋創一上田市長など宗内外から約六百人が出席した。
半田門主は「ご本尊様の思し召しとして、一和尚として老骨をなげうって勤めたい。法灯を守り、後の世に伝えるよう努力する。国内外に憂慮すべき事態が数多くあるが、この解決には宗教者があたらなくてはならない。88歳を迎えるが、今までローマ法王と11回お会いし、世界平和を語り合った経験から、その解決に少しでもお役に立ちたい」と語った。
(写真=お孫さんから花束贈呈を受ける半田新門主)
-宗教サミットの父(パパ)-
ヨハネ・パウロ二世聖下を悼む
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世聖下が、去る4月2日ローマ法王庁(バチカン)で逝去された。84歳だった。
ポーランド人のヨハネ・パウロ二世聖下は1978年10月に264代の法王に就任。スラブ系では初の法王となった。キリスト教会の和解や異なった宗教との対話に力を注がれてきた。
1986年には、イタリア・アッシジに諸宗教の代表的指導者を招き「世界宗教者平和の祈り」を開催。聖下の「異なった宗教どうしの対話が、世界平和への道を開く」という精神を継承して、翌1987年には日本で初めての「比叡山宗教サミット」が行われた。以来、天台宗と総本山延暦寺では、毎年8月に記念行事を開催している。
また、2001年9月の同時多発テロの翌年1月には、世界の異なった宗教代表者を特別列車でアッシジに招き、世界平和を祈願したことは記憶に新しい。天台宗から代表団が参加して、平和実現を討議し、共に祈った。
後任の第265世ローマ法王には、ドイツのラッツインガー枢機卿が選出された。
ヨハネ・パウロ二世聖下のご逝去に対し、天台宗は次のように哀悼の意を捧げた。
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ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の御遷化を心よりお悔やみ申し上げます。
教皇聖下は、世界平和の実現のために、特に諸宗教の対話に力を注がれました。
1981年に来日され、日本の宗教家を招かれたおりに「世界平和を実現する基本は、日本宗教界の古い指導者である最澄が『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』と述べられたこの慈悲の精神でなくてはならない」と宗祖の言葉を引用されたことに、我々天台宗徒は深い感銘を受けました。
ヨハネ・パウロ二世聖下が提唱され、アッシジで世界の宗教者を集めて開催された「世界宗教者平和の祈り」に山田恵諦天台座主猊下が参加いたしました。そのことが契機となり、日本宗教代表者会議が結成され、日本で初めて国内外の代表的宗教指導者を集めて世界平和を祈る「比叡山宗教サミット」が1987年に開催されたのです。
そのサミットに聖下は「平和は祈りなくしては成就しません。戦争は少数の人によって始められても、平和はすべての人々の連帯と協力とを必要とします」とのメッセージを寄せられました。
今こそ、私たちは聖下のお言葉を、深くかみしめる秋(とき)であると存じます。
ここに、心よりのご冥福をお祈り申し上げます。 合 掌