天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第50号

第256世半田天台座主法灯をご継承

 今冬二月一日に第二百五十六世天台座主にご上任された半田孝淳大僧正の「天台座主傳燈相承式」が四月二十六日、比叡山延暦寺根本中堂において厳かに執り行われた。半田座主猊下はご本尊薬師如来ご宝前において傳燈相承譜にご署名、宗祖伝教大師から連綿と伝わる法灯を継承された。同日は、ウェスティン都ホテル京都において披露祝賀会も催され、宗教界、政財界を始め各界から約八百名の来賓が出席、新しい座主の門出を祝福した。

 天台宗最高の慶事と称される傳燈相承式は、比叡山延暦寺の総本堂根本中堂で営まれた。
 同日、半田新天台座主を乗せた天上輿(てんじょうごし)は午前十時に控所の書院を出発。根本中堂に至る沿道には全国から多数の檀信徒が参集、あざやかな新緑の中、根本中堂に向け進まれる新座主の晴れ姿を見守っていた。
 根本中堂に入堂された半田座主猊下は登壇・焼香の後、荘厳な天台声明の祝祷唄(しゅくとうばい)が響き渡る中、傳燈相承譜にご署名され、第二百五十六世天台座主として新たな歴史を刻むこととなった。傳燈相承譜は第一世天台座主義真和尚から第二百五十五世渡邊惠進前座主までの歴代座主が就任の証として署名されている「座主血脈譜」である。また、宗祖伝教大師ご尊像前に置かれた八舌の鍵、勅封の鍵、五鈷、鉄散杖、一字金輪秘仏といった宗祖ゆかりの秘法具や大乗戒伝授に欠かせない仏舎利も伝承され、名実ともに「法灯」の継承がなされたのである。
 古式に則った儀式を滞りなく修された半田座主猊下は、天台座主として宗徒に「諭示」を発せられた。この後、天台宗を代表して濱中光礼宗務総長が「半田座主猊下のご法灯継承、心よりお祝い申し上げるとともに、座主猊下のお言葉にありますように宗祖大師のご精神を体し、座主猊下の御心を旨として、浄仏国土建設に邁進したい」と挨拶、傳燈相承式は魔事なく終了の運びとなった。
 引き続き午後からは会場を京都市内のウェスティン都ホテル京都に移し、披露祝賀会が盛大に催された。
 同祝賀会には各宗教代表、仏教各宗派代表、政財界、宗内、比叡山法灯護持会、檀信徒など各界より約八百名に及ぶ来賓が出席。会の冒頭、三月二日に行われた御拝堂式や午前中に執り行われた傳燈相承式の模様を収めたビデオが上映された後、濱中宗務総長が挨拶、続いて半田座主猊下が「宗祖大師のみ教えを体し、全身全霊をもって菩薩行に努めていきたい」と座主上任の抱負を述べられた。
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能登半島地震へ義援金 ―寺庭婦人連合会―

 去る三月二十五日に発生した能登半島地震は大きな被害をもたらした。被災者の方々は今なお余震に怯えながら避難生活を強いられている状況である。
 そうした被災地の方々のご苦労に少しでもお役に立ちたいと、天台宗寺庭婦人連合会(大澤和世会長)では、四月五日、義援金・三十万円を、災害支援の窓口となる一隅を照らす運動総本部に寄託した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

食わずに生きてゆけない。
メシを/野菜を/肉を/空気を/光りを/水を/親を/きょうだいを/師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった。

石垣りん (くらし)

 私たちは、毎日色々な人々に迷惑をかけながら生きています。生まれた時は親に、育つ過程では兄弟姉妹に、また学校へ通うようになってからは、先生に、社会人となってからは、先輩同僚にという具合です。
 それは、お互い様ですから、助け合って生きているともいえるわけですが、差引計算をしてみれば、やはり随分周りのお助けを頂いています。
 私たちが、それなくしては生きてゆけないものは、食料や水ばかりではありません。家族や、師ですら食わなくては生きられないと言われれば、本当にそうだと思わされます。
 食っているとは「迷惑をかけている」という比喩ばかりはなく、浸食し、呑み込み、欺し、倒しという意味があるでしょう。生きていくうちには、金を分捕らなくてはならず、こころをねじ曲げなくてはならない局面がしばしばあります。
 鬼のように罪深い私です。しかし、そう思うとき「懺悔をすれば許す。こころして励め」と声をかけてくださる仏さまに出会うことができれば、私たちは、また新しい一日を生きてゆくことが出来るのです。

鬼手仏心

「目には青葉…」  天台宗出版室長 谷 晃昭

 
 「目には青葉 山時鳥(やまほととぎす) 初鰹(はつがつお)」という有名な句があります。眼、耳、舌と三つ揃った春を詠んだこの句は、我々日本人の持つ春の情景にしっくりと馴染んでいます。句ほどには知られていませんが、作者は江戸時代の山口素堂という、松尾芭蕉とも親交のあった俳人です。
 この句は鎌倉材木海岸で詠まれたもの。青葉、山時鳥はどこでも見聞きできますが、なぜ初鰹かというと、相模湾の鰹漁は有名だからです。「初鰹」の裏には「女房、娘を質に置いても食べたい」という江戸庶民の初物好きの姿が浮かびます。「初物を食うと七十五日長生きをする」というところから来ているようで、まあ、たとえ高値であろうと「初物」を食いたい、「宵越しの金は持たねえ」という江戸庶民の気っ風がうかがえるというものです。
 さて、現代に舞台を移してみますと、いつの間にか「初物」への期待感や昂揚感は薄れています。春夏秋冬、それぞれの季節を代表する「初物」も、野菜などは年中目にするのだから、致し方ありません。それに、今の庶民が口にする魚は、地中海、アフリカ沖など遙か彼方の海で穫れたものも多く、いかにも俳句の趣にそぐわないですね。
 食卓に上る魚は世界中から集まってきます。「漁業」は、今では世界ビジネスです。最近は健康志向から「肉から魚へ」という食生活の変化で、欧米はもちろん中国などでも魚の消費が急上昇しています。そのため魚の奪い合いとなり、日本の買い付け商社が中国の業者に価格の競り合いに負けることも出てきています。当然、「魚資源」は涸渇が危惧され、いろんな魚の漁獲制限の動きが急です。
 なんとも殺伐とした世の中になってきたものです。この句のような季節感を味わう「初物食い」は最早贅沢になったのかもしれません。

仏教の散歩道

蝿叩(はえたた)きと蠅取紙(はえとりがみ)

 司馬遼太郎によると、昔の播州(ばんしゅう)の門徒(浄土真宗の信者)は、
 「蠅叩きはいけないが、蠅取紙ならいい」
 と言っていたそうです(『司馬遼太郎対話選集8 宗教と日本人』文春文庫)。余分な殺生を嫌う、その気持ちはわかりますが、蠅叩きにしても蠅取紙にしても、蝿を殺すためのものです。それなら同じことだと思うのですが、蠅叩きはこちらから積極的に殺生をするけれども、蠅取紙は蝿のほうからやって来るから殺生ではない、と言った理屈のようです。
 それを読んだとき、わたしは笑っちゃいました。
 〈屁(へ)理屈だよ、それは〉
 と思ったのです。読者はどう思われますか……?
 だが、あるとき、わたしは、これはすごい「仏教思想」だということに気づきました。
 というのは、以前、幼稚園の先生から、蜘蛛(くも)の巣に引っかかった蝶を逃がしてやって、
 「そんなことをしたら蜘蛛がかわいそうだよ」
 と園児から抗議を受けた、という話を聞きました。その先生は蝶がかわいそうだから逃がしてやったのですが、蝶を助けると蜘蛛が困ります。せっかくの餌を奪われたからです。しかし、蜘蛛のためを思えば、今度は蝶が食べられてしまうのです。
 この問題を仏教的に考えると、どうなりますか?わたしはそんな質問を受けました。
 むずかしい問題です。そう簡単に答えは出ません。
 でも、いちおうのわたしの考え方を言うなら、わたしは、
  ―布施(ふせ)―
 の思想でもって答えたいのです。というのは、肉食動物は生きるために殺生をせざるを得ません。草食動物は他の動物を殺さずにいられますが、しかし植物にだって生命はあるのです。広い意味では他の生命を奪っていることになります。
 ところが、これを「殺生」と捉えるなら、この問題の解決は不可能になりますが、これを「布施」と考えるとどうなりますか?
 つまり、蝶が蜘蛛に自分のいのちを布施してあげている。「わたしはこの世界で楽しく生きました。そろそろわたしの寿命も尽きるころです。どうか蜘蛛さん、わたしを食べてください」と、いのちの布施と捉えることも可能です。仏教的にはそう捉えたほうがよいと思います。
 そうするとわたしたちは、蜘蛛の巣に引っかかった蝶を、じっと拝んであげるとよいのです。そして、蠅取紙にかかった蝿を、「あなたは、自分のいのちを布施してくださったのですね。ありがとう」と拝む。それが仏教者のとるべき態度だと思います。蠅叩きを持って蝿を追いかけ回して殺す。そうした行為よりも、蝿に手を合わせて拝む態度のほうが、わたしは仏教者にふさわしいと思います。

カット・酒谷 加奈

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