天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第80号

「一隅を照らす運動」40周年東日本大会

 一隅を照らす運動四十周年を記念する東日本大会(渡邉亮海実行委員長)が、十月六日に福島県郡山市の「郡山ユラックス熱海」で開催された。当日は、同運動総裁の半田孝淳天台座主猊下をはじめ数多くの来賓を迎え、参加者も三千人を越えるという、四十周年に相応しい盛大な大会となった。

 大会には、 小堀光詮会長、濱中光礼理事長、武覚超副理事長、また地元福島をはじめ東京、山形など東日本各教区の本部長および会員が参加して開催された。
 第一部「大師報恩法要」の部では、矢島義謙現地実行委員長が開会宣言を行い、渡邉実行委員長が「特別な能力のある人が『国の宝』なのではない。一人ひとりが大切な存在であり、それぞれの場で一隅を照らして欲しい」と開会挨拶。宗歌が斉唱された後、報恩法要が厳修された。
 続いて半田座主猊下が「私たちは伝教大師が示された『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』の精神に基づき、僧俗が一隅を照らすべく精進を続けることが大切です。仏教精神によって人が人を思いやる世界、浄仏国土を目指すなら、私たちを襲っている混乱は必ずや克服される」とお言葉を述べ、また小堀会長、濱中理事長、武副理事長がそれぞれ祝辞を兼ねた挨拶を行い第一部が終了。
 第二部では、瀬戸内寂聴師が「一隅を照らす心」と題して記念講演を行った。瀬戸内師は講演の中で「人生は苦ではある。では、私たちはどうして生まれてきたのかと言えば、周りの人々を幸せにするためなのである。それが一隅を照らすということなのだ」と述べ聴衆に感動を与えた。
 第三部では、アトラクションとして、天台仏教青年会福島および有志がこの大会のために二年間練習を続けてきた「比叡山仏道讃仰のご和讃」を披露した。力強い和讃が会場に響き渡ったのち、民謡歌手の福本恵美さんが「会津磐梯山」をはじめ数々の民謡を歌い上げた。
 閉会式では、渡邉千枝子福島教区寺庭婦人会会長と、矢島八重子同副会長から秋吉文隆一隅を照らす運動総本部長に、参加者が寄付した救援募金が贈呈された。
 そして筧広大仏青福島会長が「生命(いのち)」「奉仕」「共生」の「実践三つの柱」を斉唱し、清原正田大会実行副委員長が大会を締めくくって閉会した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 自然、真理は単純明快です。それなのに、人々は、難しいことが高度なことと錯覚し始めました。借りたお金は返す、そんなことに難しい理屈がいりますか。

グラミン銀行総裁 ムハマド・ユヌス

 グラミン銀行は、バングラデシュの貧しい農村部の中でも、とりわけ貧しい貧困層の女性に、お金を貸そうと始まった銀行です。ユヌス氏は、バングラデシュで生まれて、アメリカに留学し、アメリカで教鞭をとっていたエリート経済学者です。
 三十一歳の時に、母国が独立を果たしたのを機に帰国し、チッタゴン大学の教授として経済学を教えていました。しかし一九七四年にバングラデシュを大飢饉が襲い、教室を一歩出ると、路上には餓死者が溢れていました。以後、ユヌス氏は毎日、村々を歩き始めます。
 その時に、朽ちかけた家の前で、粗末な身なりをした女性が竹の椅子を編んでいるのを見かけます。その椅子はとても素晴らしいのに、なぜ彼女はこんなに貧しいのか?聞けば日収が二円しかないというのです。
 しかも、材料の仕入代を高利貸しから借金しているので、まるで奴隷のような生活です。その借金と言えば、僅か四十円程なのです。
 ユヌス氏は自分のお金を貸せば、彼らは自分の生活を立て直すことが出来るのではないかと考えます。これがグラミン銀行の始まりです。「お金が戻るかどうかなど、気にもしてなかった。高利貸しに人生の全てを捧げなくてはならない人々の依存状態を断つことだけを私は考えていた」。
 ユヌス氏は、銀行と彼らを結びつけようとしますが、銀行側は「貧困者には返済する力がない」と聞く耳を持ちません。高利貸しより銀行の利率の方が低いから喜んで返済するはずだといくら説得しても、固定観念から抜け出すことができないのです。
 それなら自分でやろう。と彼は決意します。ものを作ることができず、物乞いをしている人にはクッキーやあめ玉を売ることを勧めました。今、グラミン銀行の返済率は九十八パーセントを超えるといいます。

鬼手仏心

オバマ大統領の受賞  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞のニュースがサプライズニュースとして世界中を駆けめぐった。大統領就任九カ月あまりでの受賞は異例中の異例なのだろう。受賞の理由としては、就任後にチェコのプラハで行った演説で、核保有国であり、唯一の使用国としての道義的責任から、核兵器の削減を推進し、核の無い世界を実現すると述べた点である。また、これを具体的に進めるため、自ら議長となり、国連安全保障理事会で、核の無い世界実現へ十一項目の決議案を採択するなどの功績が評価されたことによる。
 この受賞に関して世間の論評は賛同と疑問視の両様がある。疑問視する意見としてはまだこの問題は入り口で、その成果は今後のことであり時期尚早ではないかというものだ。
 しかし、毎年八月四日、比叡山上に国内外の宗教指導者に集まっていただき、世界平和の祈りを継続してきた私たちにとってこの受賞は正に歓迎すべき受賞であり、選考委員会の決断に敬意を表したい。受賞は平和を求める多くの人々に希望と勇気を与えてくれた。確かにこの問題は入り口であり、その実現までには困難なプロセスが予想されるが、オバマ大統領のリーダーシップのもとに、一日も早く平和世界が到来することを願わずにはいられない。大統領には近く訪日される予定であると聞く。広島・長崎を訪問される事は今回の日程では難しいとも聞いているが、ぜひ核兵器被害の壊滅的かつ非人道的な現実を直視していただき、掲げられた目標に力強く進んで頂きたい。日本政府も核の犠牲者という意識でなく、被爆国だからこそ出来る方法でだからこそ平和実現の先頭にたって、世界に核廃絶を訴えてほしい。

仏教の散歩道

「信じる」ということ

 われわれはみんな「人生老死号」という列車の乗客なんです。この列車はわれわれ乗客を乗せて、老いと死に向かって走っています。いくら頼んでも逆方向には走ってくれません。そして、列車そのものには終着駅がないのです。どこまでもどこまでも走り続けます。
 われわれがどこでこの列車を降りるか、分かりません。しかし、静かに耳を澄ましていると、やがて仏の声が聞こえてきます。
 「おまえ、次の駅で降りなさい」
 と。その声が聞こえたら、周囲の人に挨拶して人生老死号を降りるとよい。そうすれば、隣のホームに「ほとけ号」が待っています。そのほとけ号は、われわれをお浄土に運んでくれます……。
 仏教講演会で、わたしはそのような趣旨の話をしました。すると、終了後の質問コーナーで、聴衆の一人がこんな質問を寄せてきました。
 「あの人生老死号の話は、先生がそう信じておられるということで、そしてわれわれ聴衆もそのように信じなさい、ということなんですか」
 そんな子ども騙(だま)しみたいな話を聴衆に押し付けるなんて、おまえは詐欺師だ! そう言わんばかりの態度に、わたしはいささか「むっ」となりましたが、しかし冷静にこう応じました。
 「そうです。わたしはそう信じています。ところで、わたしの話を聞いて、あなたはどう思いましたか?」
 「まあ、わたしも、先生のように信じられたらいいなあ……とは思いました」
 その言葉の裏には、〈そんなことを信じている奴は、オメデタイ奴だ〉といった気持ちが見え見えでした。しかし、それを無視して、わたしは続けました。
 「信じられたらいいなあ…と思ったのであれば、信じるように努力すればいいではありませんか。もしもあなたが、信じたくないと思ったのであれば、信じないようにすればいいのです。信じるか/信じないか、それはあなたの自由です。ひろさちやが言っていることが正しいか/正しくないか、そんなことは問題外です。お浄土があるか/ないか、あれば信じる、なければ信じない。そんな考え方はおかしい。お浄土があればいいなあ……と思うのであれば、信ずればいい。信じたくないと思うのであれば、信じない。信ずると言うことはそういうことなんですよ」
 しかし、わたしのこの言葉が彼に通じたかどうかは分かりません。
 《愚かな人は咎(とが)め立てをする心で仏の教えを聞く。そんなことをすれば正しい真理からますます遠ざかる》
 『テーラガーター』という経典に出てくる釈迦世尊の言葉です。彼には通じなかったかもしれませんが、わたしは「信じる」ということの意味を、このときしっかりと学ばせていただきました。

カット・酒谷 加奈

ページの先頭へ戻る