現在のページ:トップページ > 天台宗について - 教え
先ず、まず、釈尊の教えという意味があります。今から2500年ほど前に、現在のネパール南部でお生まれになった、釈尊(ゴータマ・シッダールタ、仏陀とも言う)の説かれた教えという意味です。
次には、その教えに従って生活をする事で、釈尊と同じように自らが悟りを開き、苦悩の世界から解脱する教えという意味があります。つまり自ら仏に成るための教えということです。
もう一つ大事な意味があります。それは、悟りの世界は全ての生きとし生けるものに平等に与えられており、多くの人々と共にその世界へ行こうと互いに努める教えということです。釈尊は菩提樹の下で悟りを開かれた後、45年にわたる生涯をこの真理を人々に伝えるために過ごされ、その旅の途中で亡くなられました。ですから仏教は釈尊のはじめから、多くの人々と共にということが大前提なのです。
釈尊の残された教えは、南は東南アジアの国々へ広まり、北はガンダーラからヒマラヤを越えて中央アジアへと広まり、やがて中国へと伝わっていきます。多くの求法の僧により、数々の経典が伝えられましたが、その中でも『妙法蓮華経』(『法華経』)という経典に釈尊の「全ての人に悟りの世界を」という考え方がもっとも明確に述べられています。
この教えに注目し仏教全体の教義を体系付けたのが智顗(ちぎ)です。智顗(538年~597年)はその晩年を杭州の南の天台山で過ごし、弟子の養成に努めたことから「天台大師」と諡(おくりな)され、またその教学は天台教学と称されました。これが天台宗の起源であり、智顗を高祖と唱えるのはこのためです。
天台大師の教えを日本に伝え、比叡山を開いて教え弘めたのは
伝教大師最澄(さいちょう)です。その教えは…
釈尊が悟りを開かれたから、悟りの世界が存在するのではありません。それはニュートンが林檎の落ちるのを見ようが見まいが引力が存在するのと同じことです。悟りへの道は明らかに存在するのです。そして悟りに至る種は生まれながらにして私たちの心に植付けられていると宣言しました。あとはこのことに気付き、その種をどのように育てるかということです。
仏教には八万四千もの教えがあると言われていますが、それらは別々な悟りを得る教えではなく、全ては釈尊と同じ悟りに至る方法の一つでもあるのです。例えば座禅でも念仏でも護摩供を修することでも、巡礼でも、写経でも、もっと言えば茶道、華道でも、また絵画、彫刻でも方法はさまざまでいいのですが、そこに真実を探し求める心(道心)があれば、そのままそれが悟りに至る道です。日常の生活にもそれは言えることです。
多くの開祖を輩出した天台宗が日本仏教の母山と言われるのも、また日本文化の根源と言われるのもこのことからです。
そのために天台宗ではお授戒を奨めています。戒を授かるということは我が身に仏さまをお迎えすることです。仏さまとともに生きる人を菩薩といい、その行いを菩薩行といいます。
心に仏さまを頂いた人たちが手を繋ぎ合って暮らす社会はそのまま仏さまの世界です。一日も早くそんな世の中にしたいと天台宗では考え「一隅を照らす」運動を進めています。
まず自分自身を輝いた存在としましょう。その輝きが周りも照らします。一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。