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天台宗は法華一乗の思想ですべての仏教を包含しているので、その修行の種類は多様です。天台の教えに基づく止観をはじめ、伝教大師の心を受け継ぐ十二年籠山行、密教の修法、峰々を巡る回峰行、阿弥陀仏を念ずる常行三昧など、仏教の様々な修行が行なわれています。
ここでは、代表的な修行と、在家の方の修行ガイドを記します。
~回峰行~
相応和尚により開創された回峰行は、文字どおり、比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行です。
この行は法華経中の常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものともいわれます。常不軽菩薩は、出会う人々すべての仏性を礼拝されました。回峰行はこの精神を受け継ぎ、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝するものです。
回峰行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、生死を離れた白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をしています。生身の不動明王の表現とも、また、行が半ばで挫折するときは自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれます。
千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。ここまでの700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます。
6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。
~浄土院と十二年籠山行~
籠山(ろうざん)行は伝教大師の時代より始まりますが、現在のように大師の御廟である浄土院で生身の大師に仕えて奉仕する“侍真(じしん)”の職を勤めるようになったのは、元禄年間からです。
現行の籠山行に入るためには、まず好相(こうそう)行という礼拝行を行なわなければなりません。この行は、仏が現れるなどの好相を感得するまで続けられ、その後戒壇院にて戒を受けます。ここで初めて籠山比丘となり、12年間の山修山学に入ります。
籠山僧は、伝教大師に食事を献ずるなどの日課のほか、坐禅や勉学、境内や道場内の清掃に明け暮れ、うつろい激しい世間の流れから離れて、一日一日を生きるのであります。
~にない堂~
四種三昧(ししゅざんまい)は、比叡山で最も歴史の古い、基本的な修行です。中国の天台大師による『摩訶止観(まかしかん)』に基づく修行で、常坐三昧・常行三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧の四種です。
常坐三昧は、静寂な堂内に一人で入堂し、坐禅に没頭します。2度の食事と用便以外はもっぱら坐り続けます。
常行三昧は、念仏をとなえながら、本尊阿弥陀仏の周囲をまわり続けます。堂内の柱間にしつらえた横木を頼りに歩いたり、天井からつり下げられた麻紐につかまって歩を休めることはできますが、決して坐臥しません。
半行半坐三昧には、方等三昧と法華三昧があり、比叡山では法華三昧が行なわれています。五体投地や法華経の読誦からなり、歩いたり坐ったりしながら行をすることからこの名があります。
非行非坐三昧は、毎日の生活そのものが修行となります。期間や行法が定まっていないので、かたちを超えた本質に通じなければならず、必ずしも容易とはいえません。
比叡山では、在家の人々にも修行の門を開いています。世俗の喧騒をはなれた西塔の居士林(こじりん)において、坐禅、写経、作務などの指導が行なわれています。延暦寺主催の研修のほか、企業の研修や、子供たちの合宿研修などにも利用されています。
※居士林研修道場は、台風21号(平成30年9月)の影響により、施設に甚大な被害が発生したため、現在、ご利用いただけません。何卒ご了承くださいませ。