天台宗について

宗祖・高祖・祖師・開祖

天台の祖師達

修禅大師

義真(781~833) 第1世天台座主

 平安初期、相模の人。22歳で得度、早くより最澄について天台を学び、延暦23年(804)、師に従って訳語僧(通訳)として入唐。帰朝後、最澄を補佐し、師の没後その遺志を継いで比叡山で初の大乗戒による授戒を行い、伝戒師となる。天長元年(824)初代天台座主となった。弟子に円珍がいる。

別当大師

光定(779~858) 実務に徹して比叡山を護持

 伊予の人。大同3年(808)、30歳で最澄の弟子となり、大乗戒の独立のために尽力。円澄入滅後、天台座主不在の18年間を含めた36年間にわたり、延暦寺を護持・運営。延暦寺別当に任命されたところから、別当大師と呼ばれる。墓所は、伝教大師の廟所(比叡山浄土院)の隣に寄り添うようにある。

慈覚大師

円仁(794~864) 第3世天台座主

 下野の人。15歳で最澄に師事し、承和5年(838)中国に渡り、五台山・長安等で勉学、会昌2年武宗の仏教弾圧に遭い、艱難辛苦しながら多くの典籍・教法を持ち帰った。帰朝後は天台密教の大成につとめ、関東東北を巡錫して多くの霊場を開いた。

智証大師

円珍(814~891) 第5世天台座主 天台宗寺門派の開祖

 讃岐の人。母は空海の姪にあたるといわれ、15歳で比叡山に入り義真に師事した。仁寿3年(853)入唐。天安2年(858)四四一本一千巻の経論典籍とともに帰朝、比叡山山王院に住した。貞観8年(866)園城寺の別当となり、大いに天台の教風を宣揚した。貞観10年(868)安恵に次いで天台座主となる。同年園城寺を賜わると、ここを天台の別院とした。後に円珍の門流は園城寺において、円仁の門流(山門派)に対し寺門派を形成する。

安然和尚

(841~?) 五大院先徳 阿覚大師

 近江の人。円仁・遍照に学び、比叡山に五大院を構え盛んに天台密教を講述した。『教時問答』、『菩提心義抄』、『悉曇蔵』等の著がある。天台密教の大成者である。生涯、ただ研究と著作に没頭したので、世にもっぱら五大院の先徳といわれる。

相應和尚

(831~918、一説に908) 回峰行の始祖 建立大師 南山大師

 近江の人。15歳で円仁の門に入り、宇多天皇の歯痛を鎮めるなどたびたび法験をあらわした。貞観7年(865、一説に貞観6年)回峰行の根本道場として無動寺を建立したので、後に建立大師といわれる。
 朝廷に奏上して最澄に「伝教」、円仁に「慈覚」の大師号を賜った。

慈恵大師

良源(912~985) 第18世天台座主 元三大師

 近江の人。南都の学匠を論破し(応和の宗論)、名声が響き渡った。多くの門下があり、源信・覚運などの偉才を輩出した。学問を奨励し、荒廃した比叡山を復興・拡充したので、叡山中興の祖と仰がれる。
 角大師・豆大師として庶民に広く信仰される。おみくじの元祖でもある。

恵心僧都

源信(942~1017) 日本浄土教の祖

 大和の人。良源に師事し、学才の誉れ高かったが、母の教誡によって栄名を忌み、横川の恵心院に住んで浄業を修し、『往生要集』を著わして日本の浄土教の基礎を築いた。仏像・仏画の制作が多数にのぼる。浄土系各宗から特に尊祟されている。

空也上人

(903~972) 空也念仏の祖

 京都の人。醍醐天皇の第5皇子とも伝えられる。在俗の修行者として遊行し、天歴2年(948)延暦寺の延昌に戒を受けた。応和3年(963)京都に西光寺(後の六波羅蜜寺)を建てた。常に市井に立って南無阿弥陀仏を称え、庶民に念仏を広めて市聖(いちのひじり)と呼ばれた。その念仏を空也念仏とも称し、踊り念仏の祖とされる。

慈眼大師

天海(1536~1643) 上野寛永寺と創建

 14歳で宇都宮粉河寺(こかわでら)の皇瞬僧正に学ぶ。後に比叡山で天台三大部を学び、園城寺でも就学、興福寺で法相・三論等を研究。徳川家康に謁見してより、次第にその信任を得る。のち秀忠・家光にも信頼が厚かった。
 元和2年(1616)家康が亡くなると、その亡骸を久能山より日光山に移し、奥院廟塔(後の東照宮)を造営する。そして家康に東照大権現の諡号を贈る勅許を得た。
 また、秀忠に助言し、上野の東叡山寛永寺を創建し、その第1世となった。

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