天台宗について
天台の主張
死刑制度について
第84回通常宗議会において議会からの要望もあり、宗務総長の諮問機関として「死刑制度に関する特別委員会」が設置(平成9年3月31日)された。
当委員会では、先に4回(前内局平成9年3月31日、5月16日、7月9日、11月12日)にわたる討議を重ね、死刑制度の存続論と廃止論をめぐってそれぞれの主張、論據を分析し、先般、中間報告(平成9年11月12日)を提出した。続いて、この間題に対する委員会の動向を、「死刑問題と天台宗」のタイトルで公表(「広報天台宗」第8号頁14~頁16、平成10年1月10日)した。その際、死刑制度の存廃をめぐる論據の何れにも傾聴に値するものがある、としながらも、当委員会としては、
死刑の制度は宗教者の立場として認めるわけにはいかないが、そのためには、前提として以下の事項が克服されることを要する。という合意を確認した。すなわち
- 死刑は廃止すべきである。しかし、抑止力の有・無ではなく、死刑の在り方として、応報刑的考え方はとりたくない。
- 教育刑としての限界もあり、死刑に代わる刑罰として仮釈放のない無期懲役刑の採用が必要である。
- 被害者救済の手段を法的に整備し、被害者感情を和らげることが大切である。
- 義務(公)教育を改革し、宗教的情操の指導を強化し、連帯協調の心を養い、非行への誘惑に対する抵抗力を強化することに努める。
- 非行への抵抗力、利他心、愛他心は、幼年期までの健全な家庭生活の中で培われるという。したがって、家庭の再構築、家族の協力性の強化によって、犯罪の減少を図るよう努める。
等である。要約すれば[1]社会環境の整備と[2]法制度の改革の要望である。
そもそも、死刑制度の歴史は古く、処刑の種類・方法も多様で、近代に至るまで諸々の犯罪に対して広く行われてきた。以来、我が国にあっては、死刑を定める犯罪とそれに対する刑法が定められて今日に至っている。
一方、死刑制度の存廃をめぐっては、「死刑存廃国リスト」(アムネステイ・インターナショナル1996・10)によれば、「死刑を廃止している国」99ヵ国、「死刑を存置している国」95ヵ国とほぼ相半ばしており、犯罪情況を考慮した各国の国内事情によるものであることが知られる。
ちなみに、我が国における死刑制度を巡る世論として、存続すべきが73パーセント(読売新聞、平成10年12月27日付、「裁判」)となっている。
当委員会は、これらの事情と中間報告に示した確認事項を踏まえて、更に2回(現内局平成10年12月1日、11年2月29日)検討を重ねた結果、特に強調したい以下の3点を再確認した。
- 仏教は、生きとし生けるものを殺してはならない不殺生を説く。あらゆる生き物の生命を尊重する観点からすれば、人が人を殺生する死刑制度は廃止すべきであろう。現在、世界人権宣言(1948・12)の立場から、加害者の人権を尊ぶ主張がアムネステイ・インターナショナルでなされ、死刑廃止の根拠とする向きがある。しかし、(生命を尊ぶ)という立場からすれば、被害者の人権が守られなかった中で加害者の人権を主張するには、納得し難い面が残るし、加害者によって失われた被害者の人権はどうなるのか、という設問が用意されよう。
むしろ、ここでわれわれが主張したい点は、人間の為した行為は、その人ひとりがその果報を受けるという自業自得、因果応報の不共業(他人と共通しないその人個人のなしわぎ)にとどまらなくて、広く他者、社会一般と共通する共業として、社会性をもつことを十分に認識すべき点である。
- したがって、加害者(犯罪者)は、自ずからが犯した罪の重みを十分に自覚し、加害者や被害者の家族はもとより社会に対して、自ずからの為した罪を深く懺悔し、悔過の心を持ち、生きて生きて生き抜いて罪を償い、以て人間としてのめざめ、本性に立ち帰るべきである。事実、教誨師の良き導きによって、服役中に人間としてのめざめを体得した犯罪者のケースも多いと聞く。その反面、出所後も犯罪を重ねるケースも少なくないという。
- 自然と共存、共生していかねばならない。今、社会倫理と共生の倫理が改めて問われる現代である。そうした中で、〈生命の尊厳〉と〈悉有仏性〉そして他者への〈寛容と慈悲〉を主張する仏教の教えに生きる仏教者として、死刑制度の廃止を望むのが当然である。しかし、その一方で、犯罪の抑止力として、何らかの制度(仮釈放のない無期懲役刑の如き)があって然るべきかと考える。人を殺すことは、如何なる場合にあっても許されないことは当然であると一同時に、犯罪者にとって犯した罪を償うことは、良心ある人間の基本的行為である。
われわれにとっては、死刑制度の是非を問う前に、むしろ人間としての〈みち〉、社会構成員の一人としての社会倫理をふみはずさない社会、環境の土壌づくりに未来際をかけて、更に努力することこそ使命ではなかろうか、と思う。
(答申書要旨)
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