伝教大師1200年御遠忌を迎えるにあたり、天台宗宗祖、伝教大師最澄の東国巡礼の足跡を辿り、その拠点とされた寺院をご紹介します。
特集「門前シリーズ」、今回は岐阜県中津川市神坂に、その跡地に顕彰碑が建つ、「広済院遺跡」を訪ねます。
中央自動車道 中津川I.Cから車でおよそ20分。
ここ神坂地区は岐阜県中津川市の東に位置し、日本百名山に選定されている恵那山麓にある、自然豊かな地域。
東山道 最大の難所「神坂峠」は「日本書紀」ヤマトタケルの伝説や万葉集の防人の歌にも詠まれるなど、多くの歌集、史書、文芸の中で取り上げられてきました。
そして、その神坂地区に建立する「伝教大師広済院遺趾(いし)顕彰碑」。
この場所に伝教大師がその昔、宿がなく困難する旅人たちを救うための布施屋「広済院」を建て、その功績から日本社会福祉事業の原初とも言われ、その御心は現代まで語り継がれています。
令和元年11月23日、その伝教大師ゆかりの広済院例祭が行われました。
平安時代、東国巡化に赴いた伝教大師の行く手に立ちはだかったのが、当時、東山道の最難所「神坂峠」
旅人たちも苦労するに違いない・・・。そう考えた伝教大師は、信濃坂と、美濃坂それぞれに布施屋を建立。
このご遺徳を後世に伝えるべく、比叡山開創千百五十年記念大法要を迎えた昭和12年、まず信濃側「広拯院」の遺蹟を特定。「伝教大師広拯院遺趾」碑を建立しました。
さらにその20年後、昭和33年に美濃側「広済院」の遺趾顕彰碑が建てられ、広済院の再興、堂宇建立という大きな願いを込めて62回を迎えた顕彰法要が営まれました。
また、この「広済院」の近くで、伝教大師の御心を現代で実践しているのが、特別養護老人ホーム「延暦寺広済寮」です。
〈基本方針〉に「一隅を照らす」行動を通して、「美しく生きる」ための支援を行い、自己実現の追求・地域の安心した暮らしと思いやりにあふれる社会づくりへの貢献を掲げ、すべての職員が利用者の皆様とのふれあいを大切にしています。
伝教大師が目指したご誓願の実現を誓い、 今年の顕彰法要は静かに幕を閉じました。
さらに下部の動画では、今回の道のりやスポットを詳しくお楽しみいただけます。是非ご覧ください。